民族舞踊は古代からある、民族芸術の一つです。

民族舞踊は、民族の地理・歴史・社会的な

生活環境から創られ、発展していきました。

 

それは各民族の演技のスタイルと流儀を

具体的に表現し、そして、主として音楽と他芸術ジャンルとの

緊密な結び付きをもっていました。

 

民族舞踊は ― 民族の儀式と祝祭の本質的部分と言えます。

dances1

中国やインドなどの東洋諸国では、音楽舞踊とパントマイムの儀式用の

上演が太古から広まっていて、その後、パントマイムの踊りは、

祝祭や定期市(縁日)等で上演されるようになりました。

 

そうした民族の儀式から、輪舞等などの儀式用の踊りが創られました。

(セイロン-火、ノルウェー-松明、スラヴの輪舞、

“白樺の若枝を編む”《復活祭後7週目の木曜にこれを持って踊る為に》、

花輪を編む、焚火に点火する等の踊り)

 

段々と儀式用の踊りから離れ、民族舞踊は新しい内容、

新しい生活様式の特徴で表現されていきました。

人々は、狩りや牧畜を行うようになり、動物界を観察して踊りにまとめ、

獣や鳥、家畜の特徴と習性を生き生きと、表現性豊かに伝えました:

北アメリカ-バイソンの踊り、インドネシア-トラ、ヤクート人-熊の踊り、

パミール-鷲、インド-孔雀、フィンランド-雄牛、

ロシアの踊り-鶴やガチョウ、ノルウェー-鶏闘、など。

 

民族の農耕からは、農作業をテーマにした踊りが現れます:

ラトビア-穀物刈り、モルダビア-ぶどう栽培、ウズベキスタン

-カイコ(絹糸織り)、バター製造、ウクライナ-樵、伐採、等。

 

その後、手作業と工場の仕事から新しい民族舞踊ができました:

エストニア-靴屋、ウクライナ-桶屋、ドイツ-ガラス器製造工、など。

また、民族舞踊にはよく、戦争・闘争の、士気、勇敢さ、

英雄的な事を反映させた、戦闘の舞台が再現されました。

 

踊りの創作の大部分を占めているのは、恋愛のテーマです。

原子の人々の踊りの中には、たびたび露骨で好色的な

特徴を持っているものがあり、進化の過程で踊りが現れ、

女性に対して敬意を込めた仕草で、気高い感情を表現しました。

 

民族舞踊は-集団創造物の成果です。

踊り手から踊り手に移り、世代から世代へ、

一つの地域から他の地域へ、踊りは段々と内容が豊富になり、

高度な技術を要する高い芸術の域に達しました。

 

各民族は自分達の踊りに、伝統、身振りによる言語、

特別な動きの調和、動きと音楽の相関性のある動作、

などを取り入れて確立させました。

 

ある民族は動きのアクセントを拍子の強い部分と一致させ、

ある民族(例えば、ハンガリー人)は ― 弱い部分にかかります

(シンコペーションが行われる動き)。

 

西ヨーロッパの民族舞踊は“足の動き”に基づいていますが、

中央アジアや他の東洋諸国は手と上体の動きに重点を置いています。

 

沢山の踊りでは、踊り手が手に持っている民族楽器に合わせて踊ります

(カスタネット、タンバリン、太鼓、ドイラ、

アコーディオン、バラライカ、等)。

 

いくつかの踊りでは、日常生活で使うアクセサリーを持って踊ります

(ハンカチ、帽子、お皿、茶碗、酒杯、等)。

 

踊りの特徴に最も影響するのは衣装です。

ロシアとグルジアの踊りでは、足先まで身をおおう

長いドレスが滑らかな歩行を行う助けになります。

長靴の胴を叩く動きの特徴があるロシアとハンガリーの踊りは、

固い長靴(ブーツ)の存在がそれをもたらします。

 

ソビエト連邦での民族舞踊の発展は、

民族舞踊の開花と人気に促進され、

新しい舞台の形として“民族舞踊アンサンブル”が出現しました。

1937年に民族舞踊アンサンブルCCCP(ソビエト社会主義共和国連邦)

が設立され、プロフェッショナルな舞台舞踊の民族舞踊が確立しました。

 

この踊りは、19世紀始めから舞台舞踊として確立された

キャラクターダンスとは異なります(キャラクターダンスは民族の

スタイルが一元化され、バレエの踊りの規則に従う踊り)。

 

その後ソビエト連邦では、プロフェッショナルな

民族舞踊アンサンブルや歌と踊りのアンサンブルができました。

ソビエト連邦の試みを基に、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカ、

オーストラリア等でも、愛好家(アマチュア)とプロフェッショナルの

アンサンブルや集団が現れるようになりました。