バレエ作品において役をより良く演じる為に・・・

バレエは、言葉の無い演劇と言われています。

ロシアのバレエ学校では、必ず“演技法”の授業があり、

様々な役をより良く演じる為の練習が行われています。

そして、その基となる演劇やその理論も勉強していきます。

ロシア演劇の、有名な「スタニスラフスキー・システム」もその一つです。

 

スタニスラフスキー・システム ― 劇場の改革者

コンスタンチン・セルゲーヴィッチ・スタニスラフスキー‐アレクセーエフは、

永遠なる偉大な改革者として国内および海外の演劇史に入っています。

彼は“システム”と呼ばれる演劇の新しい概念を作成して、20世紀の実り多い

劇場の発展に勢いをつけるため、演劇における創造性の概念を変えました。

 

1898年、V. I. ネミロヴィッチ‐ダンチェンコと共に、

モスクワ芸術劇場 (MXT)を設立。

舞台芸術への新しいアプローチが

公演の中で熟し、実現することとなりました。

そしてMXT劇団と劇場のレパートリーの組成、骨の折れる

ディレクターの仕事が、スタニスラフスキーの主要な活動となりました。

 

MXTの一員として第一歩を踏み出した時の事を

スタニスラフスキーはこう語っています:

「私達は、古い演技法に対し、演劇性に対して抗議しました・・・

俳優の曲に対し、ばかげた創作規則や装飾に対し、

アンサンブルを台無しにする主役に対し、公演システム全体に対し、

そして当時の劇場の価値のないレパートリーに関して」

 

MXTの公演「皇帝フョードル・イオアノヴィッチ」と「かもめ(チャイカ)」

(1898)は、新しい演劇の方向の形成を開始しました。

劇場は、リアリズム(現実主義)、シンボリズム(象徴主義)と

規則の分野で実験されましたが、明らかにより大きく

リアリズムの方向へと傾いていきました。

 

1912年、スタニスラフスキーは、L.A.スレルジッツキーと共に、

MXTの概念と一致する才能ある人材発見と新しい世代の俳優を教育する為、

若い俳優達との仕事のためにMXT第1スタジオを開きました。

 

また、1918年、彼はボリショイ劇場のオペラ・スタジオと繋がりをもち、

音楽芸術の分野で、彼の新たな演劇の概念を導入する実験を開始しました。

 

1922-1924年に海外公演へ行っていた際に、スタニスラフスキーの

メインブック「芸術におけるわが生涯」が執筆されています。

海外公演の生活は、執筆作業を複雑にしましたが、

(当時)ソビエト社会主義共和国連邦では、海外と同じく、

MXATの海外公演から帰還後の 1924年に本は出版されました。

 

スタニスラフスキーの著書「芸術におけるわが生涯」 

― これは、世界の演劇の古典文学書といえる自伝ですが、

単なるメモリアルではありません。回想録やビジネスノートの要素、

理論分析の部分と叙情的な脱線を組み合わせた内容の本となっています。

スタニスラフスキーは新しい劇場について、彼の教えの基礎を概説しています。

劇場に対する彼の見解を形成するかのように、

彼の“システム”の主な内容について、スタニスラフスキーの俳優としての、

また監督としての仕事の生きた事例が書かれています。

 

この「芸術におけるわが生涯」の本の中で彼は、2つの主要な問題に

それぞれ特別な作業をもって、より詳細に、将来的に

彼のシステムを提示する事と著者は言葉を結んでいます:

○ 芸術家自身の内部と外部の仕事

○ 役柄の上での内部と外部の仕事

 

この計画は実施されましたが、しかし著書

「俳優自身の仕事は創造的なプロセスを体験する事」と

「創造的なプロセスの化身の中での自身の仕事」は、

著者がこの世を去った後に出版されました。

 

“スタニスラフスキー・システム”は、演劇の理論、

創造的な方法、俳優と監督のテクニックの原則について、

全体の見解をカバーする概念をもっています。

俳優と監督のための実用的なガイドとして考え出されたこの“システム”は、

大きな重要性を取得し、美的でプロフェッショナルな舞台芸術の

一般的な基礎となりました。

 

(続く)

 

舞台空間の基本と上手な使い方

 

舞台の平面図 (ワガノワ)

まずは押さえておきたい舞台(またはバレエ教室)空間の基本が左の図。

舞台を中心に8分割することができ、それぞれの方向に番号があります。

コンビネーションやPas(パ:足の動き)、エポールマンに合わせて

上手な空間の使い方を習得する為にも、とても有効な基本です。