ヒストリカルダンス(宮廷・歴史舞踊)とは

ヒストリカルダンスは、宮廷舞踊または歴史舞踊とも呼ばれる踊りです。

その昔、主にヨーロッパ諸国の舞踏会などで踊られていたダンスで、

現在のクラシックバレエ誕生の基となったのが、このヒストリカルダンスです。

 

古くからある様々な民族舞踊から取り入れられて創られたダンスで、

歴史を辿るように、時代毎に当時人気であった踊りを実際に踊り、

そこから、どのように現在のクラシックバレエへと繋がっていったのか、また、

バレエだけではなく、それぞれの時代の歴史も含めて知ることが出来るのが、

このヒストリカルダンスです。

dancesⅩⅤ-ⅩⅥ

すべては日常的に踊られていた、

「民族舞踊」から始まり、

「ヒストリカルダンス」を経て、

「クラシックバレエ」へと発展し、

その中で、より良いものにするべく、民族舞踊の要素の濃い

「キャラクターダンス」がバレエの中に取り入れられました。

 

 

1. ヒストリカルダンス(宮廷・歴史舞踊)とは

 

ヒストリカルダンスの踊りの文化の起源は、民族のお祭りから始まります。

これらの踊りのスタイルと性質は、踊り手の気分からだけではなく、

音楽伴奏、プロフェッショナルな踊り手の衣装や靴から創造されました。

 

ヒストリカルダンスは、いつもお祭りのステージと結びついていました。

16-17世紀の踊りには、

舞台には現れなかったであろうと思われる踊りはありませんでした。

例えば、16世紀に流行した“パスピエ”という踊りは、

バレエ・アーティスト達が18世紀まで舞台で踊っていました。

 

V.ラジジェストヴェンスカヤが書いたように、

ヒストリカルダンスは、民族舞踊から創られました。

ヒストリカルダンスの根源は民族の創造にあります。

 

ただ、支配階級である貴族達が踊り方を宮廷様式にし、

サロン(社交界)の性質を付け加えました。

 

民族から創造された、その様式、衣装のスタイル、音楽をもって、

フランスの“ブランル”、イタリアの“サルタレッラ”、

オーストリアの“ワルツ”の基本的な形式と動きが取り入れられました。

 

また、ヒストリカルダンスを習うにあたっては、単なる形だけではなく、

生きた時代の言語を習うように受け入れる事が必要となってきます。

この為に、動きやポーズを歴史と共に理解して動くことが必要です。

 

 

フォークロール・ダンスのプロセスは ―

 

① 農民の踊り、日常的な踊り(町の人々の踊りと、宮廷の踊り)

 

② 舞台上での踊り(宗教的な儀式用の踊り、封建時代の踊り、民族の娯楽用の踊り)

 

― 社会の発展と社会的階層分化と共に分かれていきました。

 

ヒストリカルダンスは15世紀にイタリアで生まれ、その後、

16-17世紀にヒストリカルダンスの創始者となったフランスに広まりました。

 

 

 

2. 中世の時代

 

この時代には、後に様々な踊りへと発展していく、簡単な踊りの形式が現れました。

 

教会は、特に踊りの「明るさ」を禁じていました。

でも、どちらにしろ、新年や5月の春祭りなど祝祭日の時には、

一般市民は簡単な踊りを披露していました。

踊りは職人や農民の仕事と結びついていました。

 

当時の踊りは、基本的に

輪舞(ハラヴォッド:男性の踊り、女性の踊り、男女での踊り)で

歩行から成り、たまに跳ぶくらいの踊りでした。

 

手は腰にあてるか相手と手を繋ぎ、

女性は空いている手でスカートを持って踊りました。

しばしば、踊り手自身が歌う単調な歌に乗って踊りました。

 

 

中世後半には、二人一組のペア・ダンスが踊られるようになりました。

踊り手達は手と手をつないでペア毎に一列になったり、円を描いたりして踊りました。

 

また、踊りの動きも徐々に難しいものになり、足先の開きはありませんが、

より激しく高いジャンプ、上半身の動き、鋭い手の動きなどを行うようになりました。

7世紀では基本的に、王冠のように開いた円形で踊っていましたが、

何人かの研究者は輪舞(ハラヴォッド)を、その一つの変形だと考えています。

 

 

中世の時代、一番流行したのは“ブランル”という踊りです。

“ブランル”は、フランスの民族舞踊で、中世初期に誕生しました。

この名前の意味は、「動く・進む、ゆれる」です。

 

踊り手達は手をつなぎ、閉じた円形を描きながら踊りました。

その円形は、列へと発展するか、

もしくはジグザグでの歩行に変わっていくことが出来ます。

 

この簡単で陽気な踊りは、時に違ったふうに様々に踊られたり、

異なる名前で、次のように呼ばれる事さえありました:

ブルターニュ地方(フランス北西部の半島)―“パスピエ”、

オーヴェルニュ地方(フランス中南部)―“ブレ”、

プロヴァンス地方(フランス南東部)―“ガボット”。

 

また、ポアトゥー州(フランス西部)では、

“ブランル”から徐々に“メヌエット”が現れるようになりました。

 

その後“ブランル”は舞踏会用ダンスとなり、

この踊りで始まり、この踊りで舞踏会が終わるようになりました。

 

ただ、踊りは、女性のレベランスと男性のお辞儀と共に、

おごそかなセレモニーのように気取った感じへと変わりました。

動作は、流れるように滑る歩行で、もったいぶった、ゆっくりな動きになり、

柔らかくふっくらとした服が、より踊りに動きを与えました。

 

“ブランル”は、すべての舞踏会の踊りの原点とも言えます。

 


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