ヒストリカルダンスとルネッサンス

3. 文芸復興期 ― ルネッサンスの時代

 

「踊り」は大きな意義をもっています。

イタリアの宮廷では、幕間に歌と踊りを行う劇場の催し物を作り上げました。

踊りは、街のお祭りなどで踊るものも披露されていました。

 

パリでは、バレエの催し物が確立し、

踊りは、民族音楽、歌、身振りを基本として発展しました。

異なる社会層で、舞踏会またはお祭りでの、

それぞれの踊り、踊り方やマナー、行動規則を持っていました。

 

ノベール(Jean Georges Noverre:

劇的要素の強いバレエを提唱して、バレエを改革したフランス振付家。

バレエ・ダクシヨンballet d'action ― 歌や台詞によらず、踊りそのものによって

劇的要素をもつバレエ ― の創始者)は、振付家は作品を創る際、

民族からたくさんの動きやポーズを得る事ができると書いています。

 

この時代の踊りは、より難しく、輪舞では、ペア・ダンスでのペアが

横に線形を描く振りへと変わり、難しい動作と形へとなっていきました。

 

いくつかの踊りの形は、今でもフランスで人気があります:

“リゴドン”、“ブレ”、“メヌエット”、“ブランル”など。

宮廷で直接創られた踊りはとても少ない数でした。

 

14-15世紀は、踊りのテクニックは簡単なものでした:

これはプロムナードの踊りで、手の動きが正確に無いものでした。

足の動きは細かい歩行と、全てに伴われる終わりのない

お辞儀(フランスは右、イタリアは左)で形成されていました。

 

ルネッサンス初期の服装は、

身動きがあまりできないような重たい服だったからです。

 

 

15-16世紀にとても流行した踊りは“バスダンス”です。

この時はまだたくさんの不確定な動きがあり、

すべて、特に主要な踊り手の才能で創られていました。

 

また、宮廷階層のエチケットは、とても厳しいものでした。

その為、優雅で上品な動作やマナー(特にレベランスやお辞儀)を指導する、

特別な舞踊教師が現れるようになりました。

この時代には、踊りについての印刷された著作物も出ています。

 

15世紀の宮廷舞踊は、独自の特質の視点を持ち、

民族舞踊との関係を絶ち始めます。

 

明るく陽気な踊りを踊ることは無作法だとされ、

動作はすべてより落ち着いたものになっていきました。

 

 

ルネッサンス時代の日常的な踊りは ― ペア・ダンスです:

細かい手の動き、ドレスの運びのマナー、帽子の脱ぎ方、パートナーや

客人達への挨拶の仕方等が注目され、とても多くの作法がありました。

 

パントマイムや即興の要素は消えていき、

踊り手達はお互いに、腕が触れるほど近くに立って踊りました。

 

振付家は、貴族達がとても注意深く学んでいた、

当時出版されていた教本を基に、厳密な形の踊りを振付していました。

 

 

15世紀初頭-16世紀、舞踊芸術は、

色鮮やかで優雅な舞踏会のあるイタリアで発展しました。

この時代の踊りでは、上体の姿勢やポーズがとても重要とされていました。

 

15世紀、踊りの中で、足先は両方とも真直ぐに向けていました。

足を開くこと(アン・デオール)が必ず必要とされたのは、17世紀に入ってからです。

 

 

17世紀になると、フランスの舞踊はイタリアよりも、

より優雅で難しい動作を、より豊かに、新しく充実させていきました。

 

現在のバレエの“パ”(pas:足の動き)である、

ドゥミ・ポワント(demi-point:踵を上げて立つ)で行う

“assemble-アッサンブレ”や、“jete-ジェッテ”、

床を滑るような歩行、足を交差させる動き、踵を滑らせる動き等を、

踊りに取り入れて行うようになりました。

 

女性の踊りのテクニックも難しいものになり、

“pas de bourree-パ・ド・ブレ”のような細かい足の動きが現れました。

 

これは服装のスタイルからきています:

ドレスの丈が短くなり、軽く、はっきりとした足の動きが出来るようになったからです。

パートナーとの交流は、より賑やかでアクティブになっていきました。

 

また、音楽も舞踊の発展を促進しました。

音楽の発展は、動作とそれぞれの振付を保つことを、より確実にしました。

 

踊り用の組曲を創り、それは、

ゆっくりで厳かな踊り―“ブランル”、“バスダンス”、“クーランタ”から始まり、

その後には明るく陽気な踊りが続き、

組曲の最後には“ボルタ”、“ガリヤルド”、“サルタレッラ”で構成されていました。

 

時と共に組曲には、新しい踊りと動作が組み込まれていきました:

ジャンプ、片足での回転、“カブリオール”など。

 

 

17世紀終わりには、“メヌエット”が追加され、一番人気のある踊りとなります。

イタリアの人々は“バスダンス”、“メヌエット”;

フランスの人々は“クーランタ”、“パヴァーヌ”;

イギリスの人々は“ジグ”、“サラバンド”を好んで踊りました。

 

この時代、宮廷の中ではしっかりと舞踏会が行われていました。

“舞踏会”の名は、ギリシャ語で、踊る・跳ぶという意味を持つ言葉からきました。

 

そして舞踏会は、公式な宮廷のもの、公共用のもの、

家庭のものと分けられるようになりました。

 

イタリアとフランスの初めての舞踏会は14世紀に行われ、

有名な歌手と舞踊家が踊りました。

また、時には舞踏会で公演も行われることもありました。

 

 

踊りに熱中し、とても関心が高まったのは、

17世紀フランス、ルイ14世の頃です。

 

この王は1661年、パリに舞踊アカデミーの設立を命じました。

アカデミーの趣旨は、良い踊り方を教育し、それぞれの踊りの形を厳しく創り、

全ての実技の教えを鍛え上げ、新しい舞踊作品を創造することでした。

 

 


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