☆ポロネーズ (ポーランドの踊り)

 

“ポロネーズ”の起源は、

ポーランドの民族舞踊の“chodzony”(歩く踊り)から始まって、

発展し、18世紀には全ヨーロッパで人気を博しました。

 

パリからロシアへと伝わってきた“ポロネーズ”は

メヌエットと交代に現われ、より大衆的で、簡単な動作をもつ踊りでした。

 

“ポロネーズ”は舞踏会の全ての進行に基調を与えました。

この踊りには、若い人達だけではなく、老人達も加わって踊り、

祝典の過程(プロセス)を思い出させるものでした。

 

舞踏会は、“ポロネーズ”に始まり、時々最後にも踊られました。

“ポロネーズ”の基本は、リズミカルで流れるような、

柔らかく変わらない歩行で形成されています。

 

典型的な“ポロネーズ”の曲は、ゆったりとした4分の3拍子で、

浅く滑らかなプリエ(膝を曲げること)を毎3/4拍で行います。

また、他のダンスと同じようにレベランスやお辞儀があり、

引き締まった厳格な姿勢が求められました。

 

 

☆ワルツ ― ポロネーズに続く踊り

 

“ワルツ”は、ドイツで生まれました。

はじめ“ワルツ”はみっともない踊りだと思われていましたが、

すぐに人気の踊りの一つとなり、ロマンティック時代を感じるさせる

体系の権化の踊りとなりました。

 

“ワルツ”は、実際、一つのPas(パ:足の動き)から

舞踊の新しいやり方は求められず、

その当時、女性と男性が接近することは、礼儀作法に反する

“無作法”だという認識に密接したやり方が求められました。

 

また、この踊りは、若者達が踊る踊りとなり、

だんだんと“ワルツ”はリリックな、舞踏会の中心となっていきます。

 

ロシアの舞踏会の文化は、プーシキンの時代、

“ワルツ”の詩化の始まりとなりました。

 

ロシアのリリックな“ワルツ”は、

ウィーンのワルツやパリのワルツと一緒に

ヨーロッパの文化へと浸透していきました。

 

 

☆マズルカ ― 3/4拍子

 

“マズルカ”は、1810年以降とても人気となった踊りです。

ただ、このダンスは、特に男性に、技量を求められる踊りだったので、

誰でも踊れるというわけではありませんでした。

 

“マズルカ”には、とてもたくさんの様々な図式と踊りのバリエーションがあり、

男性のソロでは、自分の想像力から創造した踊りを踊ることもできました。

 

また、“マズルカ”は二人一組で踊るダンスで、長く踊り続けられました。

それぞれの組が、それぞれホールを通り抜けでいき、

その間、他の組は待って、交流していました。

 

“マズルカ”を踊るにあたって、いろいろな流儀がありました。

例えば、ツォルンは、「(18世紀前半の)ロシア貴族階級」と

「普通の人々(農奴である召使等)」の、2つの流儀を思い出しています。

 

“マズルカ”を踊る時には、男性も女性も鉄蹄のついた靴を履き、

そこには鈴もついていることがありました。

その為、鉄のぶつかる音や鈴の響きが聞こえました。

 

そして、なめらかに「すべり動く」“マズルカ”が流行し、

作曲家グリンカやアラビエフ等の“マズルカ”が人気となりました。

 

 

☆コントルダンス ― 2/4拍子

 

このグループの踊りは、17世紀始めにイギリスの田園地帯で踊られていた

民族舞踊“カントリー・ダンス(country dance)”からきています。

 

様々な呼び名のもと、全ヨーロッパで踊られていたダンスで、

ロシアでは“エコセーズ”と“アングレース(英国風の踊り)”が人気でした。

これらの踊りは、“ワルツ”と“マズルカ”の前まで、主要な舞踏会で行われていました。

 

“コントルダンス”は、踊り手が4組(二人一組)のグループに分かれることから、

“カドリール”と呼ばれました。そのため、踊り手達は事前に話し合い、

舞踏会にグループ全員が来られるようにしました。

 

また、このダンスには5つの必須の型があり、6つ目の“trenis”は後にできました。

“カドリール”は8つからなる、時には11つもの型があったと言われています。

作曲家はダンスに合わせて独自の想像力を発揮することができました。

 

“カドリール”では、高水準に達したテクニックやジャンプが要求された為、

誰でもが踊れるわけではありませんでした。

時々、若者がロマンティックに失望した感じで、わざと拍子を乱すこともありました。

 

プーシキンは人生の中で、様々な“コントルダンス”を踊りました:

“ランシエ”、“グロスファートル”、“タンペット”、“マトレドール”。

“マズルカ”は、パブロフスカヤ、エック、デコンブレ、

アラビエフ等の作曲家が作曲していました。

 

 

☆ポルカ、ギャロップ

 

“ポルカ”は、19世紀の40-50年代に流行した、チェコの踊りです。

“ギャロップ”は、簡単で明るい踊りで、若い人たちに好まれていた踊りです。

 

“ポルカ”には生きたリズムがあり、簡単な回転する動作がありました。

貴族達はすぐに“ポルカ”を認めることはありませんでしたが、

始めの頃は、たくさんの二人一組の型をもっていました。

 

 

☆その他のダンス

 

舞踏会では、「淡黄色の」または「輝く」ダンスが踊られていました。

これらの踊りは基本的に、よく舞踊教育のされた若い少女達が踊りました。

“pas de chale”(ショールを持って踊るダンス)などが人気でした。

 

 

☆コティリオン

 

このダンスは、客人達がすでに礼儀正しさを失った、

舞踏会の最後に必要な踊りでした。

“コティリオン”は、踊りの型の中で遊ぶダンスで、フランスが起源だと言われています。

ダンスの始めは、“ブランル”と似ています。

 

踊り手達はお土産を渡し、何時間かとても長く踊っていました。

それは“ワルツ”から始まり、その後、他の踊りへと変わり、

ホールは笑い声とざわめきで溢れました。

 

舞踏会は夜明けと共に終わり、そのあと1週間の間に、

舞踏会の主催者のもとへ儀礼訪問し、お礼を言うという慣わしでした。