ヒストリカルダンスと20世紀

 

9.20世紀前半の舞踊文化

 

19世紀後半、ヨーロッパのダンスはアフロアメリカと

ラテンアメリカからの踊りを源に、新しい影響を感じ始めます。

 

「新世界(アメリカ)」で発展し続ける、アフロアメリカンの踊りは

「自由」を具現化していました。

 

 

その昔、部族から切り離されて奴隷となったアフリカ系の人々

(アフロ・アメリカン)は、奴隷同士のコミュニティーを再構成しようとします。

そこで、故郷で行っていたように音楽と踊りで団結を深めます。

 

まずは、祖国で行っていたものをほぼそのまま再現した部族ダンス。

ソロが歌い、全員が歌い、これを延々と繰り返す、

アフリカの伝統的なスタイルに基づく労働歌も生まれました。

またこの頃、ハラーと呼ばれる個人で歌われる歌も見られました。

 

アフリカ大陸における彼らの文化の中で、

音楽は生活のあらゆる面に不可分に浸透していて、

共同体を維持するために不可欠の物でした。

その端的な例として、トーキングドラムがあります。

彼らは太鼓の音で意思の伝達を行っていたのです。

 

ところが、ヨーロッパ系アメリカ人(ユーロ・アメリカン)達は

奴隷達が結束するのを危険視し、暴動を教唆しないよう、

歌や踊り、そして特にコミュニケーションの道具になる太鼓を禁止ました。

 

「太鼓を叩く、笛を吹くなど」が法律で禁じられていたので、

奴隷となった人々は手を叩いたり、バンジョ(円形で片面のみ羊皮を張った

胴をもつギターに似た楽器)を弾いて踊っていました。

 

やがてキリスト教の下でコミュニティーを形成させ、

ユーロ・アメリカン社会に尽くさせるべきだと考える者が出始めます。

こうしてアフロ・アメリカンの中にキリスト教が浸透していきます。

こういった経緯の中、教会音楽との出会いから、

アフロ・アメリカン・スピリチュアル(霊歌)が生まれました。

 

一方で、アフロ・アメリカンの陽気な音楽を取り入れ、

顔を黒く塗ったユーロ・アメリカンが演じる旅回りの音楽劇、

「ミンストレル・ショー」も人気を博しました。

 

足で拍子を取りながらこするようにする動きから

その後、芸術的フォルムとなった、タップダンスのような、

独特のステージ・ダンスが生まれました。

 

19世紀後半に流行した、ケーク・ウォーク(Cake-walk)というダンスもありました。

奴隷制度によってアメリカに移り住んだ、多くの南アフリカ人達が創り出しました。

 

これは、それぞれの組(二人一組)が歌を伴う速いダンスの中で、

高く足を振り上げ、早い歩行で、息が止まりそうなほどのジャンプと

独創的な回転で、競争相手たちを超えるように頑張る、ダンスコンテストでした。

ケーク・ウォークはアメリカで、当時ヨーロッパで評判を得たカンカンと似ています。

 

リズミカルなラテンアメリカのダンスは、

エキゾチックな魅力で人々の心を惹きつけました。

特に人気を呼んだのはブラジルのマシシ(Maxixe)と、

タンゴの先駆けであるキューバのハバネラ(Habanera)です。

20世紀始めに現れたジャズ音楽は、社交ダンスで大きな役割を果たしました。

 

20世紀の社交ダンスの源は、フォークダンスにあります。

 

トゥ・ステップ(Two step)

 

パ・デスパーニ(Pas despagne)

 

マシシ(Maxixe)

 

ケーク・ウォーク(Cake-walk)

 

チャールストン(Charleston)、タンゴ(Tango)

 

― これらの踊りを基に、英国の学校の現代社交ダンスが出来上がっていきました。

 

今までとは違う踊りの表現から、人々の交流も今までとは違った形となり、

踊りやすい衣装、新しい音楽リズムの基本が生まれました。

 

英国の学校のプログラムの中では、10の社交ダンスが必須となっています。

① ヨーロッパのプログラム:タンゴ、スローフォクストロット、

  クイックステップ、スローワルツ、ヴェニーズ(ウィンナ)ワルツ

② ラテンアメリカのプログラム:サンバ、ルンバ、チャチャチャ、ジャイヴ、パソドブレ

 

 


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