ヒストリカルダンスとロシアの歴史 1

11.ロシアの舞踏会の歴史 - ピョートル1世~エカチェリーナ2世の時代

 

 ロシアで風俗文化の多大なる変化が始まったのはピョートル1世の時代からです。

皇帝は、公共の場における生活習慣について様々な指図を出しました。

また、外国の宮殿の舞踏会での踊りにとても興味を持ちました。

 

彼は、ロシア初となる“アッサンブレ”という舞踏会(宮廷宴会)を催すことを発表します。

そこでは出席者全員が踊ることを命じられた為、ロシアの貴族達は

スウェーデン将校達のもとでダンス・レッスンを受けるようになりました。

皇帝は、踊りの中で個人的な模範を出席者達に与えました。

ただ、ロシア人達は、しばしば外国のダンスのあり方を変えて、

より生き生きとした踊り方やマナーを加えていました。

 

その時代の舞踏会は、儀式用の踊りから始まりました。

マーチを思い出させるような、厳かでゆっくりとした音楽で、

“コントルダンス”のように片側に女性達が、そして反対側に男性達が立ちました。

 

また、時には半円になって踊ることもありました。

“メヌエット”は、1組か2組、または3組で踊られましたが、その際、

ヨーロッパの規則との違いは、上官服従(上司尊敬)を守らない事でした;

男性または女性は、個人の希望で再びパートナーと

ダンスを繰り返して踊ることができたのです。

 

そのあと、“ポロネーズ”と良く似た“ポーランドの踊り”が始まりましたが、

これは5組で踊られ、続いて“遊戯のダンス”が始まりました。

それ以外には、イギリスのダンス“エコセーズ”と、

鎖または散歩のように歩くダンスがよく踊られました。

 

また、この時代、 “グロスファートル”という

ドイツのダンスを思い出させる踊りが創作されています。

その踊りには、簡単なパ・ド・ブレで装飾されることも時々ありました。

 

18世紀30~40年代、宮廷の舞踏会では“メヌエット”を中心とした、

全ての流行していた外国のダンスが踊られていました。

そして、貴族達のための軍の士官学校にある

学術学校(中学校)でダンスを学ぶようになります。

そのダンス教師には、シミド、バザンクール、ジャン=バティスト・ランデの弟子である

ネステロフ(ロシア人初のダンス振付師)などがいました。

 

1794年にクスコーヴァが、社会の中で自分を保つ能力について

沢山書かれている「ダンス教師」という本を出版しています。

 

18世紀後半、舞踏会用の社交ダンスはどの社会層の人々にとっても、

日常的で大衆的なものへとなっていきました。

シェレメーチェフの宮殿で行われていた豪華な舞踏会では、

“ポロネーズ”、“ガボット”、“コントルダンス”、“アングレース”が人気のダンスで、

18世紀の終わりには ― “タンペット”、“ファンダンゴ”、

“ボールを持つ踊り”等が流行っていました。

皇帝の舞踏会は、パリやローマに劣らないほど豪華なものでした。

 

19世紀には、舞踊文化の頂点を迎えます。

高い地位にある人は、たくさんの社交ダンスを知っていなければなりませんでした。

ダンス教師には、グルシコフスキー、プアロ、ストゥコールキン、サンコフスカヤなど、

著名なバレエ・ミストレスやアーティスト達がいました。

彼らは、踊り手の崇高な流儀やマナーと音楽性を教え込みました。

 

19世紀に流行したダンスは、18世紀の“ポロネーズ”、“グロスファートル”、

“ヴェストリスのガボット”などでしたが、始めの頃にはすでに、

パリでは“Russian waltz”と呼ばれた

“вальс в два па(Waltz of two steps)”が流行していました。

 

20年代には、4組で踊る“ワルツ”と“マズルカ”、“エコセーズ”、

“フランスのカドリール”、“コティリオン”と“ランシエ”が

ロシア中で有名なダンスとなっていました。

 

50年代から、商人とブルジョア階級の人々が、また、

同じように専門大学や高等学校でも舞踏会を行うようになりました。

このような夜会では“ワルツ”や“マズルカ”、“pas de chale(ショールを持つ踊り)”と

独自の感情をもつ“アレマン”などが踊られていました。

 

そして段々と、生き生きとした踊りの“ポルカ”が人気のダンスとなっていきます。

この“ポルカ”から沢山の踊りの形状・型が出来ていった為、

このダンスを踊るのは簡単でした。

その後、“クラコビャック”、“ハンガリーの踊り”、

“ワルツ-マズルカ”を学ぶようになりました。

 

19席後半には、“パ・ド・カトル”、“ミニヨン”、“シャコン”、複雑なワルツなどが

舞踏会で踊られるようになり、仮面舞踏会では“ギャロップ”がよく踊られました。

 

19世紀にわたって舞踏会では「キャラクターダンス」も踊られていました:

“ファンダンゴ”、“ロシアの踊り”、“カザチョック(コサック・ダンス)”、

“カフカーズのレズギンカ”など。

 

当時の舞踏会は、プーシキンの「エヴゲーニー・オネーギン」と、

トルストイの「戦争と平和」に反映されました。

 

 


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