ロシアバレエの歴史2

20世紀初頭、作品のテーマや筋よりも踊りで見せる作品が形骸化し、

次世代のロシア人の振付家たちが、

そのような作品への批判的態度をもって創作を始めます。

アレクサンドル・ゴールスキーは、モスクワ芸術座のリアリズム演劇の

演出法を取り入れたバレエ「ドン・キホーテ」(1900年)を発表。

 

ミハイル・フォーキンは、作品の筋の説明なしで作品が理解できる

バレエを目指して、ムードのみを表現する「ショピニアーナ」(1908年)や

動き自体が台詞となるようなドラマ「瀕死の白鳥」(1907年)を創作し、

クラシック舞踊以外の自由な動きも取り入れました。

 

また、20世紀初頭には、バレエは踊りだけではなく、音楽や絵画など、

それを構成する様々なジャンルの芸術が同等の力で結合した

総合芸術であるという概念が生まれました。

A.Pavlova & V.Nijinsky
 

バレエ音楽が単なる伴奏ではなく、シンフォニー化され、

舞台美術にも一流の画家たちが参加し始めました。

ゴールスキーの「ドン・キホーテ」の美術をコローヴィンとゴロヴィーンが

担当したのを皮切りに、アレクサンドル・ベヌア、レフ・バクストなど、

当時の最先端をいく芸術集団 『芸術世界派』 が

帝室劇場の美術に関わるようになったのです。

 

この時期に、セルゲイ・ディアギレフが率いる

ロシア・バレエ団「バレエ・リュス」が

パリやヨーロッパ諸国でセンセーションを巻き起こしたのは、

当時ロシア・バレエが生み出していた総合芸術としてのバレエ作品と、

18世紀からの国を挙げてのダンサー育成の成果を証明する、

ニジンスキーやカルサーヴィナ等の名舞踊手のためでした。

「バレエ・リュス」は1929年に解散されますが、

その後もメンバーが世界各地でバレエを発展させました。

 

その中でも有名なのが、振付家ジョージ・バランシンです。

彼の作品の大部分はシンフォニック・バレエと呼ばれ、

音楽を踊りとして視覚化し、筋を持ちません。

この手法を最初に試みたのは、バランシンの先輩であるペテルブルクの

フョードル・ロプホフですが、その創作に必須の音楽性の点で、

バランシンの作品は他の振付家を寄せ付けない素晴らしさがあります。

 

また、バランシンの、作品の意味よりも動きのフォームそのものを探求する

姿勢、群舞の構成の巧みさは、ペテルブルグ時代に自身が

その作品を踊った、尊敬するプティパの作法を受け継いだものでもあります。

 

ゴールスキーやフォーキンの新たな試みの後、1917年の10月革命前後に、

あらゆるジャンルの芸術でロシア・アヴァンギャルドの時代が始まります。

ダンスもその例外ではなく、イサドラ・ダンカンのスタジオや

だるくローズの研究所など、様々な小劇場や学校が現れ、

新しいジャンルの探求が行われました。

ダンカン
 

1910年代後半から30年代前半まで、劇作品としての舞踊芸術よりも、

新しい形式や身体の動きそのものに関心が集まった

ロシア・バレエ史上特異な時代でした。

ニコライ・フォレッゲルが機械ダンスを考案して注目され、

ソ連時代の振付家の鬼才といわれるカシヤン・ゴレイゾフスキー、

フョードル・ロプホフ、レオニード・ヤコブソンが

この時代にモダン・ダンスの実験的な振付を開始したのでした。

 

1934年、キーロフ(現マリインスキー)・バレエの

首席バレエマスターであるロスチラフ・ザハーロフが、

プーシキン原作の「バフチサライの泉」を発表した時から、

ドラマティック・バレエの新しい伝統が生まれました。

 

30年代後半は、社会主義リアリズムの時代であるとともに、

アヴァンギャルド時代の実験の行き過ぎを反省し、

古典を見直すことが唱えられた時代でもありました。

そこでザハーロフは、ロシアの国民的詩人であるプーシキンへと向かい、

その後、レオニード・ラヴロフスキーはシェークスピアへと向かって、

ドラマティック・バレエ時代の最高傑作「ロミオとジュリエット」を

誕生させました。

 

★ ロシア文学:プーシキンの伝記 :歴史に基づいた、とても詳しいロシア文学に関するHP

 

18世紀から始まり、演劇と結びついたドラマティック・バレエを

新たなジャンルとして復活させるために、

ザハーロフは、世界のリアリズム演劇の基礎となった

スタニスラフスキー・システムを取り入れました。

 

ダンサーとの話し合いによる役の徹底的な分析から始まる

ザハーロフの演出法は、現在もなお、作品のドラマ性を高め、

ダンサーの演技を深めるために役立っています。

そのロシア・バレエの俳優=ダンサーの頂点に立つのは、

ガリーナ・ウラーノワです。

彼女の見事な演技は、クランコなど西欧の振付家が

ドラマティック・バレエに着手する起因にもなったといわれています。

ウラーノヴァ
 

★ スタニスラフスキー・システムの実践・トレーニング

1900年代はじめに、当時、世界でもトップクラスの劇団「モスクワ芸術座」の

俳優・演出家・演技教師だったスタニスラフスキーによって、システムは創られました。

 

★ スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念
国立モスクワ音楽劇場バレエ

スタニスラフスキーの演技理論”スタニスラフスキー・システム”

に基づく舞台で名高い、国立モスクワ音楽劇場バレエ団。

2008年に新しく芸術監督に就任した元ボリショイ・バレエの

トッププリンシパル、セルゲイ・フィーリンが率いるバレエ団です。

 

スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念

国立モスクワ音楽劇場は1929年、元ボリショイ劇場のダンサーであった

ヴィクトリア・クリーゲル創設のモスクワ芸術バレエ団が基盤。

舞踊芸術を一般の人にも浸透させようとした、クリーゲルの試みは、

劇作家ネミロヴィチ=ダンチェンコを魅了し、

またロシア演劇界の巨匠スタニスラフスキーをも魅了し、

1941年スタニスラフスキー率いるオペラ劇団と合併。

 

バレエダンサーも役柄を深く理解し、

秀でた役者であるべきとバレエの中に持つ演劇的要素を高めた。

ソ連崩壊前後の政治や経済の混乱の中でも、常に新しい作品を作り出し、

国民からも広い支持を受け、世界中から最もエキサイティングで

レベルの高いバレエ団として賞賛されている。

 

ロシアバレエの歴史①

ロシアバレエの歴史③

↓ この記事を読んだ人は、こんな記事も読んでいます

  • 芸術の秋☆ロシアバレエ
  • 芸術の秋☆ボリショイバレエ
  • 国立モスクワ音楽劇場バレエ 来日公演2015
  • 2014年 サマー・コンサート終了
  • 2014 夏のイベント from ロシア Ⅱ

    このページの先頭へ